クラリネット記事
The Clarinet vol.60 Cover Story│シルヴィー・ユー

音楽に限らず、様々なことに好奇心を持つことが大切

各方面から“現代最高のクラリネット奏者のひとり”と、高い評価を受けているシルヴィー・ユーさんは、世界に著名なパリ・ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団の第一ソリストであり、初の女性奏者でもある。そんな彼女にクラリネットのこと、楽団のこと、そして日本のことを訊いた。

アンブシュアを理解したらすぐに音が出た

来日は何度目になりますか?
シルヴィー・ユー(以下S)
初めて日本に来たのは1985年です。その後何度も訪れていて、今回で20回以上になります。パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団(以下、ギャルド)の公演や、リサイタルで来日しました。
日本はとても好きな国です。ギャルドの演奏旅行で1985年に初来日した時は、当然ながらもっと若かったですが……、5週間滞在しましたから、いろいろなものを見る時間がありました。このとき大都市以外の町も訪れており、とても興味深かったです。日本の文化に関心があるので、日本について書かれた本をたくさん読みました。考え方や気質はフランスとかなり違いますが、文化も人々も歴史も、私を夢中にさせてくれる国です。
さて、クラリネットを吹き始めたきっかけを教えてください。
S
子どものころ、ノルマンディー地方(イギリスとフランスを隔てている海峡を臨むフランス北西部の地方)の小さな町に住んでいました。趣味として音楽を始めたくて、管楽器を吹きたいと思っていました。当時、女の子たちは管楽器ではなく、ピアノやヴァイオリン、ギターを弾いていたので、私は他の人とは違うホルンが良いと考えたのですが、ホルンの先生がいなくて、クラリネットを始めることになりました。
フランスにはどんな小さな町にも音楽院がありますが、必ずしもすべての楽器の先生がいるわけではありません。私の町の場合ホルンの先生はおらず、クラリネットの先生がいました。
最初にクラリネットを吹いた時の感想を教えてください。
S
ほかの子どもたちと同じで、少し難しいと思いました。でも、リコーダーを習っていたこともあり、楽器に息を吹き込むことには慣れていました。だから吹き方は分かっていましたので、アンブシュアのことが理解できたらすぐに音が出ました。
しかも、とても良い先生に習っていましたので、すぐに楽しいと感じるようになりました。両親は音楽家ではないので、クラリネットは私だけのもの、私だけの世界で、家族の誰にも関わりのないこと、すべて私の責任でやること、そう思えて嬉しかったです。

>>次のページに続く
・完全なグループになる必要がある
・セルマーはどの楽器もまとまりのある音

 

シルヴィー・ユー Sylvie Hue
パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団の第一ソリスト。パリ国立高等音楽院でクラリネットを学ぶ傍ら、パリ第12大学にて文学も修める。ギィ・ドゥプリュ、クリスチャン・ラルデに師事し、1987年クラリネットで審査員全員一致の一等賞、1988年室内楽で2つの一等賞を獲得。同年、現代文学の学位も取得。作曲をジャン=ミシェル・バルデスに師事。1988年日本クラリネットコンクールにて一等賞、1991年プラハの国際コンクールでも優秀な成績を修め、以降フランスのみならず世界各国でリサイタルやオーケストラとの共演などで活躍を開始。多くの作曲家から協奏曲や室内楽作品を献呈されている。教育にも力を注ぎ、パリ市のダリウス・ミヨー音楽院、オルセー音楽院にて教鞭をとるほか、洗足学園大学、チェコのオストラヴァ大学の客員教授も務める。フランス国立ユース・ウインド・オーケストラの木管セクション監督。

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