クラリネット記事
The Clarinet vol.61 Cover Story│ビル・ジャクソン

自分の求める音色のために、ありとあらゆるテクニックを身につける

ピッツバーグ交響楽団、コロラド交響楽団などの首席奏者を歴任したビル・ジャクソン。本誌初登場のクラリネット奏者だ。クラリネット、サックス、フルートと器用に操る彼は、大学時代までジャズ奏者になるのか、クラシック奏者なるのか決めていなかったという。19歳の若さでホノルル交響楽団の首席奏者になり、それからはクラシックをバックグランドに今の地位を築いてきた。
写真:土居政則 通訳:早瀬圭一 取材協力:ドルチェ楽器 管楽器アヴェニュー東京店

ジャズ奏者、それともクラシック奏者になるべきか

本誌に初めての登場ですね。まずジャクソンさんがクラリネットを始めたきっかけを教えてください。
ジャクソン(以下 J)
私はアメリカ・ミッドウェストのミズーリで育ちました。私の両親は音楽はやっておらず、父は眼科医、母は専業主婦でした。町には市民バンドがあって5年生(9歳)になったら参加できるということで、そういう子どもたちを対象に楽器の展示会がありました。そこでいろんな楽器を見て、体験して自分のやりたい楽器を選べるのです。私は最初、トランペットを選びましたが、父の友人でメガネ店をやっている方がディキシーバンドでクラリネットを吹いていて、彼が勧めてくれたクラリネットを吹くことにしました。
高校はインターロケン(※1)に進まれました。芸術高校ですが、そのときにはすでにクラリネット奏者になると決めていたのですか?
J
12歳の頃からはセントルイス交響楽団に所属していたジョージ・シルヴィに個人レッスンを受けていました。ですからインターロケンに入学した時点ではプロ奏者に……というのは決めていました。
でも当時はジャズミュージシャンなりたかったんですよ。中川良平さんの主宰されている東亰バッハバンドでもサックスを吹いていて、他にフルートも吹いていました。
※1 インターロケン(Interlochen Arts Academy)ミシガンにある全寮制の芸術高校。多くの学科を持ち世界各地から芸術のプロを目指して生徒が集まる。
クラシック奏者になるか、ジャズ奏者になるか決めたのはいつでしょうか?
J
大学時代ですね。インターロケンで勉強していたときは、学校のオーケストラにも参加していました。そのときにクリーブランド管弦楽団の首席奏者だったロバート・マルセリス先生が、ノースウェスタン大学に指導に来ており、大学とわりと近かったインターロケンにも時々教えに来ていました。そのころのロバートは病気のためにすでにクラリネットを吹くことができなかったので指揮の指導でインターロケンに来ていましたが。私のクラリネットの音を聴いてくれたロバートがノースウェスタン大学に進学することを強く薦めてくれたんです。
とはいえ、ノースウェスタンに行ったころはジャズもクラシックも両方やっていました。ロバートはクラシックをしっかりと私に勉強してほしかったので、私がジャズをやることを反対していました。
私はクラリネット、サックス、フルートの3つの楽器を吹くことができたので、ロサンジェルスからオファーがあり、クラシックを選ぶべきか、ジャズを選ぶべきか迷っていたときに、クラシックの仕事を得ることができたので、その道に進みました。

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・19歳でオーケストラの首席奏者に
・Musician playing the clarinetとして

BIL JACKSON ビル・ジャクソン
インターロケンアカデミーを修了とともに、卒業時には特別に優れた生徒に与えられるゴールドメダルを授与。その後、ノースウェスタン大学のロバート・マルセリス氏に師事し、プラハの春コンクールにてファイナリストに選ばれる。ソロ、オーケストラそして室内楽と幅広い分野で、第一線として活躍している多彩なクラリネット奏者である。これまでにピッツバーグ交響楽団、コロラド交響楽団やホノルル交響楽団の首席奏者を勤め、セントルイス交響楽団、シンシナティ交響楽団の客演首席として演奏。室内楽奏者としてもこれまでにデイヴィッド・シフリンなどの著名な演奏家と共演。数多くの音楽祭にも招待を受ける。これまでにテキサス大学、コロラド大学、デュケイン大学などで指揮にあたった。現在、アスペン音楽祭にて指導にあたるほか、アメリカ・テネシー集のヴァンダーヴィルド大学ブレア音楽院にて教授を務める。

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