クラリネット記事
The Clarinet vol.64 Cover Story

ミシェル・アリニョン&吉野亜希菜

1967年(昭和42年)に設立された株式会社ビュッフェ・クランポン・ジャパンは、クラリネットをはじめサクソフォン、オーボエ、トロンボーン、ユーフォニアム、テューバなどの数々の銘器を日本に紹介し、音楽の可能性を大きく広げてきた。2017年の秋、その設立50周年を記念したコンサートが開催される。豪華アーティストが多数出演するこのコンサートで重要な役割を果たすのが、ミシェル・アリニョン氏と吉野亜希菜氏だ。師弟でもあるお二人に、コンサートへの意気込みを聞いた。
写真:土居政則 協力:株式会社ビュッフェ・クランポン・ジャパン)

アリニョン氏と日本との深い縁

アリニョンさんは、吉野さんがパリ国立高等音楽院に留学された時の先生にあたるわけですが、今回は久しぶりの再会ですか?
吉野亜希菜(以下Y)
いえ、アリニョン先生はたびたび来日してくださるので、前にお会いしたのは去年の今頃ですから、ちょうど1年ぶりくらいですね。
アリニョンさんの日本の印象はどんなものですか。
ミシェル・アリニョン(以下A)
いつも楽しく、期待に胸を躍らせながら来日しています。日本にいるたくさんの知り合いに会えることと、日本人ならではのライフスタイルや生き方に出会えることがとても興味深いです。日本の食べ物も大好きなので、いやな思い出は一度もありません。
アリニョンさんは何度も来日されて、フランスだけでなく、日本のクラリネット文化も育ててくださっていますね。
A
日本の音楽学校はとてもすばらしい。昔のことから言えば、大橋幸夫先生の生徒さんがたくさんいらして、その門下からフランスに留学に来た人もずいぶんいました。また、日本のクラリネットの発展に尽くしたジャック・ランスロ先生から直接教わっていた人もいましたし、濱中浩一さん、二宮和子さん、横川晴児さんをはじめたくさんの偉大な演奏家の下でも次世代の逸材が育っている。クラリネットの「ニホンジンスタイル」といえるものが存在すると思います。
今後、日本のクラリネット界に期待されていることは?
A
今でもすばらしい教育が続いているので、何も心配していないのです。私は武田忠善さんがいた広島のエリザベト音楽大学で、日本での最初のマスタークラスをしました。そのあと国立音大など様々な学校でマスタークラスをして、今ではその時に教えた生徒が後進の指導にあたっています。明日もマスタークラスをしますが、きっとまた良い生徒が来てくれるでしょう。

>>次のページに続く
・10代の日本人を温かく迎えたパリ
・レッスンのポイントは「フレーズ感」
・クランポンの魅力は特別な音色にあり
・50周年コンサートは楽しく、華やかに!

Michel Arrignon ミシェル・アリニョン
フランス国立パリ高等音楽院でクラリネット、室内楽のプルミエ・プリを得て卒業、 アメリカのミシガン大学で研鑽を積む。 1972年ジュネーヴ国際音楽コンクール第2位。 1984年から89年までパリ・オペラ座管弦楽団首席奏者。 1989年から2009年まで、ギイ・ドゥプリュの後任でフランス国立パリ高等音楽院教授として教鞭をとる。 2010年、スペイン、レイナ・ソフィア高等音楽院名誉教授に就任。大阪音楽大学客員教授、ビュッフェ・クランポン専属テスター。フランスを代表するクラリネット奏者として幅広いレパートリーを持ち、 その技術と共に、現代音楽の演奏解釈に定評があり、多くの作曲家から作品が献呈されている。活発な演奏活動と共に、数多くの録音も手掛ける。また、世界各地の講習会に招かれ、後進の育成にも情熱を傾けている。

吉野亜希菜 Akina Yoshino
12歳でクラリネットをはじめ、第4回全日本中学生・高校生管打楽器ソロコンテスト中学生の部、第3位入賞。翌年同コンクールの高校生の部、第2位入賞。2006年パリ12区立 ポール・デュカス音楽院にて満場一致の一位で卒業。2010年パリ国立高等音楽院のクラリネット科を最優秀賞で卒業後、パリ音楽院管弦楽団に入団。その間続けて同音楽院に在学しバスクラリネット科を2012年卒業。現在、東京交響楽団の首席奏者として活動中。これまでに本田耕一、Michel Arrignon、Arnaud Leroy、Jerome-julien Lafferiere、Jean-noel Crocq の各氏に師事。

[CLUB MEMBER ACCESS]

この記事の続きはCLUB会員限定です。
メンバーの方はログインしてください。
有料会員になるとすべてお読みいただけます。

1   |   2      次へ>      

クラリネット ブランド