クラリネット記事
The Clarinet vol.59 Cover Story │ リカルド・モラレス

プエルトリコが生んだミスタークラリネット

今回はミスター首席と言っても過言ではない素晴らしいクラリネットプレイヤー、Ricardo Morales氏の登場です。彼のホームであるフィラデルフィアオーケストラのホームグラウンドのKimmel Centerで撮影とインタビューをさせていただきました。本誌初登場です。
Text & Photos: Yuki Tei (yukiteiphoto.com)

Special Thanks: Morrie Backun and Joel Jaffe at Backun Musical Services (backunmusical.com)
Alyssa Porambo at the Philadelphia Orchestra (philorch.org)

音楽に囲まれた一家で育つ

Yuki Tei(以下、Yuki)
こんにちは。今日はお忙しい中お時間を作っていただいてありがとうございます。先日イタリアから戻られたばかりで時差など大変かと思いますが、よろしくお願いします。早速ですが生い立ちや音楽を始めたきっかけをお聞かせください。
Ricardo Morales(以下、Ricardo)
こういった素晴らしいクラリネットの専門誌のインタビューなら時差の疲れなんて感じないよ(編集部注:実際このインタビューの前は3時間リハーサルがありました)!
私はプエルトリコで生まれました。両親は音楽家ではないですが、とても音楽が好きで家の中には音楽が溢れていました。レコードなどで音楽を聴くということだけでなく、たくさんのコンサートに行きましたし、家で親戚、家族と共に演奏したりもしていました。私には兄が4人に姉が1人いますが、全員プロの音楽家として活躍しています。大家族でしたので常に家の中は音楽だらけでしたね。
クラリネットとの出会いは11歳の頃で、持った瞬間から「これだ!」と感じました。特にクラリネットの音色に惹かれました。クラリネットの前にもさまざまな楽器を触れる機会がありましたが、クラリネットに出会うまではこれほどのパッションはわきませんでした。私はすぐクラリネットに夢中になり、初めてレッスンを受ける直前まであまりにも吹きすぎていて、最初のレッスンではあまり音が出なかったんです。でもその先生はとても優秀な方で、私にクラリネットの演奏のすべてを教えてくれました。プエルトリコと聞けばクラシックとかけ離れていると思われがちですが、スペインをはじめ多くのヨーロッパの文化が反映されているんですよ。かの有名なチェロ奏者のPablo Casals(パブロ・カザルス)氏も1955年からプエルトリコに住み、マルタ(Marta Casals Istomin)という当時若かったチェロ奏者と結婚しました。数年後に彼はカザルス音楽祭を始め、音楽学校の設立などにも携わりました。この二人のおかげで、プエルトリコには素晴らしい音楽の伝統が育まれたのです。マルタもまたプエルトリコの音楽界の繁栄に重要な人物であり、のちにマンハッタン音楽院などの学長にもなりました。音楽プログラムの盛んな公立学校がいくつもあるのですが、私もそのうちのひとつで勉強を始めました。アメリカから多くの優秀な音楽家が訪れるので、多くの演奏を生で聴くことができました。
これらが後に私の人生において大きな影響を与え、財産にもなっています。

>>次のページに続く
・オペラはラテン気質と相通じる
・次の世代へとつないでいく使命

 

Ricardo Morales リカルド・モラレス
1972年、アメリカ自治領、カリブ海北東に位置するプエルトリコのサンフアン生まれ。現在フィラデルフィアオーケストラの首席クラリネット奏者。以前はメトロポリタンオペラをはじめ数多くのオーケストラの首席を経験。小澤征爾指揮のもとサイトウ・キネン・オーケストラでも首席奏者を務め、オーケストラの首席だけでなく、ソリストやチェンバーグループ、そしても数多くのオーケストラと共演。指導者としてもジュリアード、カーティス音楽院などで教鞭を執る。アメリカだけでなく、アジア、ヨーロッパでも活躍中。www.ricardomoralesclarinet.com

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