クラリネット記事 フローラン・エオー インタビュー 〜愛弟子から見た、ミシェル・アリニョンの肖像〜
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ミシェル・アリニョン追悼 ~In memory of Michel Arrignon

フローラン・エオー インタビュー 〜愛弟子から見た、ミシェル・アリニョンの肖像〜

15年もの間、アリニョン氏のもとで学び、40年以上の月日をともに歩んだ愛弟子であるフローラン・エオー氏。アリニョン氏は生前、エオー氏を「後継者」と語っていたという。そんなエオー氏が今回、演奏家として、最も近くで見てきたアリニョン氏の素顔と功績について語ってくれた。
また、本インタビューの最後には、アリニョン氏のご息女である、カミーユ・アリニョン氏の特別寄稿メッセージも掲載している。

協力:ビュッフェ・クランポン・ジャパン

日本、そしてビュッフェ・クランポンとの結びつき

 
 
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日本の話もしないといけませんね。日本との関係も非常に重要だったと思います。アリニョンは本当に日本に対して誠実で、長く深い関わりを持っていました。たしか彼は、ビュッフェ・クランポン社の日本展開の初期にも関わっていて、当時の責任者、ミシェル・プロラタンと一緒に、クラリネットを詰めたケースを持って日本中を回り、クラリネットの普及に尽力したと聞いています。日本との間にはとても強い絆があったと思います。彼の弟子にも、松本健司さんや亀井良信さんのように、日本で重要なポジションに就いた人がたくさんいます。彼にとって、特に大切にしていたのは、「ビュッフェ・クランポンとの協力関係」、そして「日本に来ること」の二つだったと思います。晩年は長距離移動が難しくなってしまい、残念ながら日本に来ることはできなくなりましたが、それでもこの二つは彼の人生において本当に大きな意味を持っていたと思います。ですから、彼とビュッフェ・クランポンとの関係についても触れるべきですね。

彼は1970年代にその協力関係をスタートさせました。当時はジャック・ランスロやギイ・ドゥプリュといった世代がいて、最初はプレスティージュ・モデルのE♭クラリネット、いわゆる小クラリネットの開発から関わり始めたのです。
これは彼にとって、ビュッフェ・クランポン社での最初の「テスター」としての仕事でした。まず目指したのは、少し柔らかい音色で、しかも演奏しやすいE♭クラリネットを作ることでした。というのも、小クラリネットはどうしても音が鋭く、突き刺さるようになりがちだからです。その後、彼は「フェスティバル」モデルの開発にも関わりました。このモデルは今でも販売されていますね。これはRCとR13の中間的な性格を持つ楽器を目指したもので、多くの奏者がR13の音色を好みながらも、RCの音程の良さを評価していたことから、「両方の長所を兼ね備えた楽器を作ろう」という発想から生まれました。それがフェスティバルです。

そしてもう一つ、とても重要だったのが「エリート」というモデルです。現在は販売されていませんが、技術的な実験の場として非常に重要な楽器でした。特にカーボンファイバー素材の研究が行われ、たとえば金属製の接合部補強リングの代わりにカーボンファイバーを使ったり、キィ周りの構造、キィポストやその取り付け方法など、さまざまな技術的試みがなされました。本当に、純粋な意味での「技術的探究」のためのモデルだったと言えると思います。エリートは技術的探求そのものをゴールとしたモデルであり、長期的な観点から見ても、その後のモデル開発につながる多くの技術を生み出しました。つまり、エリートで試みたさまざまなアイデアや技術が、次の世代の楽器に活かされていったわけです。
その後、彼はビュッフェ・クランポンのほぼすべてのモデル開発に関わっていきます。中でも「トスカ」は、彼を象徴する最も代表的なクラリネットだったと思います。トスカはフェスティバルをベースに、当時のピッチの変化などに合わせてアップデートされたモデルで、まさに彼自身の楽器と言える存在でした。
その後も彼は開発に関わりつづけ、実際に彼自身が使用していたのも「フェスティバル」、「トスカ」、そして最後は「トラディション」でした。これらが彼のお気に入りの楽器だったと言えます。そして最終的には「BC XXI」が、彼が開発協力した最後のモデルになります。こうして振り返ってみると、彼は40年以上にわたってビュッフェ・クランポンと仕事をしてきたことになりますね。創業200年の歴史の中で40年というのは、全体の約5分の1です。これは本当に大きな存在だと思います。

長くなりましたが、彼はフランス派の伝統を体現する存在であると同時に、その伝統を受け継ぎながら、常に進化しつづけ、フランス派そのものを発展させてきた人物でした。これは音楽の解釈のあり方においても、クラリネットの演奏法においても、さらには楽器製作の分野においても、非常に重要なことだと思います。
私は彼と45年にわたって関わってきましたが、いつも彼の中には、フランス派のルーツを大切にする姿勢と、同時に常に新しい考え方へと進化しつづける姿勢の両方がありました。そして何より、彼は極めて誠実で、本物の音楽家でした。とても真摯で、深い人だったと思います。今はどちらかというと、演奏でも「分かりやすい演出」や「見せる表現」が好まれる時代ですが、彼はそうではなく、本当に内面から音楽を生み出す音楽家でした。彼の演奏を一度でも聴いた人は、誰もがその音色と、純粋な表現力を忘れないと思います。彼にとって音楽はまさに生きる理由そのものでした。そして彼は、周囲の人々や社会に対して、本当に多くのものを与えてきた人です。日本語で言うなら “生きがい” という言葉がぴったりかもしれませんね。
 
 
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