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THE FLUTE vol.186

【第19回】新・国産フルート物語 あずみ野から高品質のフルートを世界に発信 —アルタスフルート

本誌THE FLUTE vol.166より連載がはじまった「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。

書籍「国産フルート物語」
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊

1998年に、アルソ出版より刊行した書籍『国産フルート物語』。
日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。

当時から20年以上が経ち、令和の時代を迎えた今、それらのメーカーや工房なども代替わりなどが進み、様変わりしてきている現状がある。そんな現在の姿をあらためて伝えるべく、新たに取材を加えながら「新・国産フルート物語」としてここに綴ってきた。

今回は、新たなスケールなどを開発してきたアルタスフルートについてお伝えしていく。「理にかなった楽器作り」を目指し、世界に発信し続けてきたメーカーはいかにして出来上がっていったのだろうか。前編として、「国産フルート物語」刊行当時の記事を振り返る。
「国産フルート物語」(アルソ出版 1998年刊)より再編、写真は当時のもの

第19回:あずみ野から高品質のフルートを世界に発信 —アルタスフルート

「自分なりのフルートを作りたい!」 その思いから会社を辞め、独立への道を選んだ田中氏。台湾製フルートを世界の水準まで引き上げた田中氏の技術は、ウィリアム・ベネット氏との信頼関係を通じ、ハンドメイドフルートとして結実した。

北アルプスへの登山口にあたる長野県堀金村(現・安曇野市)。この緑豊かな一帯はあずみ野と呼ばれ、山々には残雪が輝いている。ひときわ高い峰は、標高285メートルの常念岳。平成2年、台湾から帰国したばかりだった田中修一氏は、この雄大な景観をひと目見て「ここだ、ここにアルタスの工場を作ろう」と決めた。
それから7年。アルタスブランドのフルートは世界各地へ輸出され、ほとんど知られていなかった日本国内でもその作りと品質が認められることとなった。昨年(註・単行本取材時)に全面モデルチェンジを果たしたアルタスフルートは、外見だけでなく中身の良さにも気づいたプロ奏者やリペアマンなどをはじめとして、人気が高まりつつある。

自分なりの歌口を持ったフルートを作りたい! 

株式会社アルタスの代表取締役・田中修一氏は、松本市の近郊浅間温泉の出身である。田中氏は陸上競技の長距離ランナーとして将来を嘱望され、高校1年生までは長野県の強化合宿のメンバーに選ばれていた。のちに東京オリンピック(註・1964年)に出場したマラソンの円谷選手などと一緒に練習したこともあったという。しかしあるレース中に膝を痛め、選手として活躍することができなくなった。将来の目標を見失いふさぎ込んでいたころ、田中氏はフルートと出会った。
たちまちフルートの魅力に取りつかれた田中氏は、モイーズに師事していた高橋利夫氏について勉強を始めた。数年後に、アメリカで働きながらフルートを勉強しないかという話があった。しかし、当時はアメリカのビザを取るだけでも大変な労力と時間が必要で、田中氏は1年待った後、これをあきらめざるをえなかった。
やがて、ある人のつてでムラマツフルートに就職した田中氏は一路上京し、技術者としての勉強を始める。「技術は教えられるものではなく盗め、という時代だった。朝は5時に起きて工場に入り、自分の分の仕事が終わってからも工場の中で、他の人たちの仕事を見て回りました」。努力はやがて実り、田中氏は技術を順調に身につけていった。
そして田中氏はいつか、自分なりのフルートを作りたいと考えるようになった。フルートの中でも歌口を作ってみたい。しかし工場では分担が決められていて、いくらやってみたくても手が出せなかった。悩んだ末、田中氏は5年間も在籍したムラマツを退社する決心をする。「自分のフルートを作るためには、自分で会社を作るしかない!」という思いのもとに下された決断であった。

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