クラリネット記事
with ペーター・シュミードル&フェルディナント・シュタイナー

ヨハネス・グライヒヴァイト

ウィーン放送交響楽団首席クラリネット奏者のヨハネス・グライヒヴァイト氏は、マウスピースとバレルの接続に従来使用されているコルクではなく、交換可能なOリングを採用したマウスピースを開発。そのマウスピースは、同氏の師匠であるクラリネット界の巨匠ペーター・シュミードル氏をはじめ、同門であるザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の首席奏者フェルディナント・シュタイナー氏なども愛用している。そこで、この2人も加わりグライヒヴァイト氏が作り出すマウスピースの魅力を語ってもらった。
通訳:横田揺子、後関由治 取材協力:株式会社石森管楽器


左からヨハネス・グライヒヴァイト、ペーター・シュミードル、 フェルディナント・シュタイナー

才能に恵まれた優秀な生徒

グライヒヴァイトさんとシュタイナーさんのお二人はシュミードルさんの生徒さんだったということですが、シュミードルさんはお二人に教える時、どのようなことを気をつけていらっしゃいましたか?
ペーター
(以下P)
教えるということは難しいものです。先生というのは生徒の可能性を引き出す仕事だと思いますが、甘い接し方では生徒がやる気をなくしてしまうかもしれませんし、厳しすぎてもそれは同様です。だから、生徒たちが自発的に可能性を広げられるようにするための方向性を示すということが一番大事でした。レッスン時間が長ければいいというものでもありません。重要なのは短い時間の中でも正しいことをピンポイントで教えることです。例えばビュッフェの立食パーティで、キャビアやステーキなど美味しいものがたくさん並んでいても、全部食べきれる人はいませんね。合ったものを自然と選びとります。レッスンも同じで、先生はビュッフェのように引き出しをたくさん持っておき、その時の生徒に一番大切なものを渡すのが私の仕事です。突然うまくいかなくなってしまう生徒もいますが、そうなってしまった時にどうやって解決策を探してあげるか、ということも大事なことです。楽器の上達には才能も必要ですが、それよりもそれを活かすための努力を怠らないということがとても重要です。
シュミードル先生から見て、お二人はどういう生徒でしたか?
p
とても才能に恵まれていて、注意したことをすごくいい形で反映してくれるし、とてもよく練習する勤勉で優秀な生徒たちでした。そして結果として、オーストリアでも優秀な、一流のオーケストラで素晴らしいポジションに就いています。誇りに思う生徒たちです。
皆さんが初めてクラリネットを手にしたのは何歳ごろでしたか?
フェルディナント
(以下F)
歯が生え変わった9歳くらいの時に、クラリネットがどうしても吹きたくて始めました。吹奏楽でクラリネットの音を聴き、これこそ自分の楽器だと直感しました。それからはリコーダーでもクラリネットの音を出したいと思い、色々試したりしていました。自分が生まれた場所は比較的小さな村で、30人くらいが一緒にテレビを見るようなところでした。1987年のザルツブルク音楽祭もそのような状況でテレビ放映を観たのですが、バーンスタイン指揮、シュミードル先生ソロのモーツァルトのクラリネットコンチェルトを聴いた時に、それまでの人生で一番美しい音楽を聴いたと感じました。どうしてもクラリネットをやりたいという思いを強くしたのを覚えています。
ヨハネス
(以下J)
私は11歳くらいです。父親はトランペットを吹いていたので、トランペットはどうだと言われました。クラリネットを吹きたいと言ったら残念そうな顔をしたのを覚えています(笑)。スクールバスの中で隣の友だちが「クラリネットを始めるんだ」と言っていたので、じゃあ僕も吹きたいとなったのです。
p
祖父がウィーンフィルのメンバーだったので、私で3代目です。祖父が他界した際、私はまだ6歳だったので祖父と接触する機会はあまりありませんでしたが。ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)では優秀な生徒でしたよ。ピアノの練習をしたり、ギリシャ語もいい成績を取った記憶があります。クラリネットを初めて吹いたのは16歳くらいのときです。ギムナジウムに入ってからクラリネットを始めるのは、当時でも遅いと言われました。18歳くらいの時にはクラリネット奏者になろうと一日5時間以上練習していました。自分の前には10人、15人と優秀な生徒たちがいましたが、最終的にオーディションで勝ち取ることができました。遅く始めて努力しなければいけなかった分だけ、他人に負けない努力をしたからこそ結果がついてきたのだと思います。

>>次のページに続く
・革命的な仕上がりのマウスピース

 


ヨハネス・グライヒヴァイト Johannes Gleichweit

ウィーン放送交響楽団首席クラリネット奏者。ウィーン国立音楽大学卒業。2003年からマウスピースの開発を開始し、他の多くのプロ奏者とともに完璧な精度と、個々の奏者に合わせた最適化を可能にする研究に取り組んでいる。2004年に彼は新方式のジョイントシステムにより特許を取得。マウスピースとバレルの接続に従来使用されているコルクを、交換可能な“Oリング”に換えることにより、簡単かつ素早い組み立てを可能にした。2008年にマルティン・フルッフ氏と共同でmaxton社を設立。2019年3月末日をもって共同事業は終了し、2019年4月1日より“グライヒヴァイト・マウスピース”が新規開業となった。

 

ペーター・シュミードル Peter Schmidl

1941年チェコスロバキア・オロモウツ生まれ。祖父(アロイス・シュミードル)、父(ヴィクトル・シュミードル)、本人と3代にわたってウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席ソロ・クラリネット奏者を務めている。ウィーン国立音楽大学でルドルフ・イェッテルに師事し、1964年、成績優秀ならびに国家表彰を受け卒業。65年、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。68年からウィーン・フィルのソロ・クラリネット奏者となり、2001年から2005年まで同楽団のジェネラル・マネージャーを務めた。オーケストラ活動、室内アンサンブルの分野、そしてソリストとしても活躍している。バーンスタインとの共演が多く、87年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とドイツ・グラモフォンで行なったモーツァルト「クラリネット協奏曲」のレコーディングは、名演として知られている。1967年からウィーン国立音楽大学にて後進の指導にあたり、1980年教授に就任。現在では生徒たちが世界各国の一流オーケストラで活躍している。毎夏札幌で開催されるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)には91年からPMFアカデミーの教授(PMFウィーン)として毎年参加。また99年、首席教授に就任。さらに2001年からは首席教授兼芸術主幹に就任。

 

フェルディナント・シュタイナー Ferdinand Steiner

オーストリア・アイヒキーヘン生まれ。ウィーン国立音楽大学ではペーター・シュミードル、エルンスト・オッテンザマー、ハンス・ヒンドラー各教授に師事。在学中よりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場管弦楽団で研鑽を積み、モーツァルトの未亡人が設立したザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団首席クラリネット奏者として活躍。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のゲスト首席奏者として招かれるほか、シンフォニエッタ静岡プリンシパル・ゲスト・スーパーソリストも務める。また、クラシック音楽だけでなく、ジャズの演奏でも高い評価を得ている。

 
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