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飽くなきフルートへの、熱狂と情熱 ペトリ・アランコ

THE FLUTE vol.173 close up

ペトリ・アランコ Petri Alanko

1989年、第2回の神戸国際フルートコンクールでエマニュエル・パユと同時に1位を獲得したペトリ・アランコ氏。フィンランド放送交響楽団の首席奏者を務めた後、現在はシベリウス音楽院で後進を育てる活動に情熱を注ぎ、多数の国際コンクールの審査員でもある。11月に来日、マスタークラスが行なわれた同日にインタビューを行なった。
インタビュア:中野真理
取材協力:村松楽器販売株式会社

 

ニールセンのコンチェルト、その楽しさ

本日のマスタークラスのテーマは、ニールセンのコンチェルトですね。あなた自身、この曲への思い入れはありますか?
アランコ
(以下A)
個人的に、一番好きな曲です。モーツァルトよりも多く演奏したくらい。フルーティストにもオーケストラにも人気のある曲です。吹いていても、すごく楽しいですよ。ミュンヘンのコンクールで優勝したときの曲なので、私にとっては幸運をもたらしてくれた曲でもあります。
この曲を演奏するにあたっては、どんなことを心得ておいたらいいでしょうか?
A
ちょっと複雑な音楽ではあるんですが、いったんそれを分析したり学んだ後は楽しく演奏できるようになります。キャラクターがコロコロと変わるので、それに対応してフルートもいろいろ演奏を変えていけるという面白さもある。それだけに、演奏するには柔軟性が必要ですけれどね。
現在フィンランド放送交響楽団の首席奏者を務めている小山裕幾さんが、以前のインタビューで、前任者のアランコさんがいてくれたおかげで今の自分がある、という話をされていました。小山さんとのご縁というのは?
A
彼が少々大げさに言っているような気がしますが(笑)、「オーディションがあるから受けてみたら?」と勧めたのが私だったんです。このポジションにふさわしい人として、ぱっと彼が頭に浮かびました。彼が18歳で神戸国際フルートコンクールを受けたとき、私は審査員でした。それが最初の出会いでしたね。その後もフェスティバルやコンクールなどで何度か会うたびに、彼の音楽性のすばらしさを感じていました。
小山さんにインタビューしたとき、フィンランドの文化や国民性には日本に似ているところがあると話されていました。アランコさんから見ると、いかがですか?
A
賛成です。言語は違いますが、日本に来るととても居心地がいいんです。人々の佇まいや雰囲気が似ていると思います。ヘルシンキにも日本人がたくさん住んでいますが、社会の中に溶け込んでとても尊敬されるような存在でもある。精神性も似てるんじゃないかな、と思います。

教えることは大きな挑戦

あなたが教えているシベリウス音楽院はどんな雰囲気ですか?
A
とても規模の大きな大学です。クラシック音楽以外にも、ジャズやフォーク、古楽器や指揮を学ぶ学科があり、700人くらいの生徒がいます。テクノロジーを学ぶ学部もあります。指揮科はすごくレベルが高いし、オーケストラも本格的な活動をやっていて、すばらしい教育機関です。自分の母校でもあるのですが、私の頃はまだ、地域の学校という感じでした。それがだんだん国際的になってきて、外国人の生徒も増えてきました。今は、フィンランド人と外国人が半々です。私の生徒は9人いますが、やはり半分は外国人で半分はフィンランド人です。
ペトリ・アランコ,Petri Alanko,中野真理
生徒を教えるときに、大切にしていることは何ですか?
A
教えることというのは私にとって大きな挑戦で、たやすいことではありません。教えれば教えるほど、ますます難しいなと感じる自分がいます。そんな中でも、同じメソードではなく、一人ひとりにぴったり合ったメソードを見つけることが至上命題です。だから、これだ、というはっきりとした教え方というものはありません。“音”と、それから“表現”にとても重要性を感じます。指回しなどの部分は、個人的に練習すれば済むこと。教える側の力量が問われるのは、その先の部分ですね。私は先生というよりも、コーチみたいな感じで接しています。プロになるためのガイドのようなつもりで……。先生は経験があって技術を生徒に教えるから、学生が先生を尊敬するのは当然のことなんですが、私は「生徒を助けてあげる」という意識で教えることに向き合っています。
コンクールに出る人や、そこで優秀な成績を収める若い人たちを見ていると、少なくとも日本では今、女子のほうに軍配が上がっている感じがあります。世界的にはどうなのでしょうか?
A
そうですね。私のところも、男子生徒はいま一人しかいません。そもそも入試の時点で、女子が圧倒的に多いですよ。女性が活躍しているのは、フルートの世界だけじゃないかもしれないですけど……男子にもっと頑張ってほしいですね。

 

恩師の教え、揺るぎない情熱

あなたはかつて、ハンス・ペーター・シュミッツ氏やウイリアム・ベネット氏に師事されたそうですね。そのとき印象的だった教えや、思い出をお聞かせください。
A
それぞれに一年間師事しました。二人は、まったくタイプの違う音楽家でした。ベネット先生は、マルセル・モイーズの伝統を伝えるような教え方をする人で、音とフレージングについて、いろいろなことを教わりました。シュミッツ先生は世代がずいぶん上で、当時でも70を越えていました。自分の祖父ぐらいの年齢でしたね。音楽だけではなく、私の知らない文化について、多くのことを伝えてくれました。戦時中からベルリンに住んでいて、戦後ベルリン・フィルができた時にその首席になったという、まさにベルリン・フィルの生き証人みたいな人だったんです。 シュミッツ先生は、1960年代に一切フルートを吹くことをやめた――と言っていましたが、本当は家では吹いていたんじゃないかな、と密かに思っています。楽器の持ち方なんかも、触っていない割にはすごく自然だったので。知識の量が半端ではなくて、エネルギッシュで、熱狂的な人でした。とても熱のこもったレッスンをしてもらいましたね。
それぞれの先生から言われて、今に活きていることは?
A
二人の先生に学んだいろんなことはずっと自分の中に残っていて、当然、今教えていることにも反映されています。ベネット先生には、息の入れ方とか、実質的なことをたくさん教わりました。それは具体的でわかりやすかったので、自分の生徒にも伝えています。
いま使用されているのは、ムラマツの楽器ですね。
A
18金の管体に9金のメカニズムが付いたものを使っています。もう12年になりますね。初めてムラマツのフルートを買ったのは1989年で、神戸のコンクールでは9金を使いました。その後ちょっと響く音が欲しくなって、93年に14金を買いました。今のが3本目のムラマツということになります。ムラマツの楽器には、音に対してはっきりとした考え、理想があると思います。それが、私自身の理想と合ってもいる。表現もしやすいし、自分に合っているんです。オーケストラで使っていたときも、本番の前にまったく心配することがありませんでした。そんな信頼感が、いちばんの魅力ですね。
小山さんもムラマツでしたね。以前、フィンランドでは楽器の調整ができなくて、帰国した時にいつもやってもらっているとインタビューで伺ったのですが、今はどうですか?
A
今は、ムラマツでトレーニングを受けた若くて優秀な技術者がいるんですよ。とても心強いです。
では最後に、日本の若いフルーティストに、アドバイスとメッセージを。
A
私はフルートを吹くのが好きで、73年にフルートを始めてからずっと練習を続けてきました。46年が経つ今も、本当に吹くことが楽しくて、飽きることがありません。若い人たちには、情熱を忘れずにいてほしいな、と思います。プロになったら、ちょっと大変なことも起こるかもしれない。でも、そんな時も揺るぎない情熱があれば、必ず乗り越えられると思います。
マスタークラス
マスタークラスが行なわれた同日にインタビューを行なった。

 

Profile
ペトリ・アランコ Petri Alanko
ペトリ・アランコ
Petri Alanko
フィンランド出身。ヘルシンキのシベリウス音楽院で、その後ドイツのフライブルク音楽アカデミーで学ぶ。1989年に神戸国際フルートコンクール、1990年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝。1987年〜1988年にチューリッヒ歌劇場管弦楽団首席奏者、1988年〜2012年にフィンランド放送交響楽団首席奏者を務める。2012年よりシベリウス音楽院でフルートの教鞭をとり、後進の指導に力を注いでいる。
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