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唯一無二を求めて、“進化”は続く エマニュエル・パユ

THE FLUTE vol.173

実に9年ぶりの本誌登場となったパユ。1989年の神戸国際フルートコンクール優勝を経て、1992年よりベルリン・フィル入団、翌年から首席となるも2000年には一度退団し、2年後にまた復帰……そんな経歴を持つ。現在も首席奏者として堂々の貫禄を見せる彼だが、オーケストラの一員としての顔よりも、“エマニュエル・パユ”という一人のアーティスト、音楽家としての名高さが際立つ存在。世界のフルート界のトップに立ついま、演奏家として思うこととは──?
通訳:久野理恵子、写真:森泉匡、取材協力:Eアーツカンパニー、王子ホール

ダイシンとは趣味が合う!

以前、本誌でインタビューをさせていただいたときに、ベルリン・フィルのメディアライツを担当したり「デジタル・コンサートホール」を立ち上げたりしたこともあり、自分の時間がなくて辛かったことがあるとお話しされていました。今現在は、いかがですか?
パユ
人生にはいろいろな時期があるもので……あれから、様々なコンチェルトの委嘱作品を演奏する仕事を始めて、この10年で25作品になっています。当時(註:前回の登場は2010年)は小さかった子どもたちも大きくなって、そこに自分の時間を取られることもなくなりました。そう考えると、いろんなことに人生の時間を使ってきて、どうりで年をとるはずですね(笑)。
いま、ベルリン・フィルではマチュー・デュフォーさんと共に首席奏者を務めていらっしゃいますが、それぞれ役割分担はどのようにされているのですか?
パユ
だいたい半々ずつの分担をしています。ヨーロッパのオーケストラの典型的なパターンですが、常に首席奏者のどちらかがいるという状態。ですから、必ずどちらかは本番に乗るかたちで、互いのスケジュールを調整しながらやっています。
それぞれの仕事も忙しいですし、スケジュールの調整はかなり早い段階でするようにしています。ひとたび発生した仕事には多くの人がかかわることになりますから、できる限り急な変更などは生じないように心がけています。

次のページの項目
・綺羅星のような音楽家たちと出会って
・音への哲学、そして“進化”

Profile
 エマニュエル・パユ
エマニュエル・パユ
Emmanuel Pahud
6歳でフルートを始め、パリ国立高等音楽院でミシェル・デボスト、アラン・マリオン、クリスチャン・ラルデ、ピエール=イヴ・アルトーに師事、同音楽院卒業後はバーゼルのオーレル・ニコレの下で研鑽を積んだ。1989年の神戸国際コンクール第1位で日本のフルート・ファンの注目を一気に集め、92年には最難関のジュネーヴ国際コンクール第1位を獲得。1992年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のオーディションに合格し、翌年には首席奏者に就任。 2000年6月ベルリン・フィルを退団、同年9月から2001年6月までジュネーヴ音楽院フルート科の教授として後進の指導にあたる。2002年4月ベルリン・フィルに復帰、同オーケストラ首席奏者およびソロ・フルーティストとしての演奏活動を再開。来日も多く、リサイタルの他、N響、読響、東響を含むオーケストラとの共演、レ・ヴァン・フランセ(木管アンサンブル)での公演、またマスタークラスも行なっている。2006年放送の大河ドラマの紀行音楽にも参加した。録音ではワーナー・クラシックスと専属契約を結び、20作を超えるCDをリリース、多くの賞を受賞している。フランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」受章。英国王立音楽院名誉会員。

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