フルート記事
THE FLUTE 146号 Close-Up1

若林千春 × 若林かをり

このたびCDアルバム「玉響(たまゆら)ぴあにっシモ」を発売した現代音楽の作曲家・若林千春さん。奥様でフルーティストのかをりさんも演奏者として参加しているこのアルバムについて、THE FLUTE 146号ではお二人に話を伺いました。
現代音楽の作曲家が曲に込める思いとは? そして演奏者はどんなふうにそれを受け取り、音として表現していくのか?——インタビューの中から、本誌には掲載しきれなかったそんな話題をお届けします。

――
かをりさんは今回の曲『玉響(たまゆら)・ぴあにっシモ』を最初に吹かれたとき、どんな印象を持ちましたか?
かをり
彼の曲に限らずですが、現代作品の楽譜を開くときって、ドキドキしますよね。まず“黒い”か“白い”か、っていうところで(笑)。
――
楽譜の“混み具合”ですね。現代曲の楽譜は音符が混み合っていて“真っ黒”に近いこともありますからね。
かをり
レコーディング間際に仕上がってきて、白ければいいんですけれど……それでまずひとつ条件クリアですよね、譜読みをするうえで。真っ黒だと、やはりそれだけ譜読みに時間がかかりますからね。
ただ、彼の作品はこれまでに何度も演奏しているので、たとえ新しい曲であっても不安感はないですね。人間関係と同じで、親しい人だと何をするにも気構えなくていいし、「あ、あの人だからこんな感じかな」と察しがつくじゃないですか。作曲家の作品や楽譜というのも、同じだと思うんです。その人のキャラクターとか好みが、反映されていることが多いような気がします。そういう意味では、彼は私にとって安心して曲を受け取れる作曲家ですね。最初は大変でしたけれど……。
千春
楽譜に書いて表現できないことというのがあって、それを説明したんですよ。ここは緑の色で、ここでは紫になって、紫の色がちょっと翳って……みたいなことを多重奏法で表現するようなつもりでこちらは書いていて、ちょっと焦げくさい匂いがここで薄まって、わさびの匂いがして……というようなことを話せばわかるんですけれど、それが楽譜上では非常に複雑になっているわけなんです。口で話して伝えられることも、楽譜のうえではそう書けないので……
かをり
楽譜だと、ものすごく出しにくい重音がA、B、C、D、E、みたいに書いてあって。こちらは音と技術でしか(楽譜を)見ていないんですけれど、単に音と技術があっても、説得力のある演奏はできないんですよね。結局、その技術を使う目的がわからないと、機械が音を鳴らしているみたいな状態になってしまって……それを乗り越えるところが難しかったですね。
千春
慣れている人とか、親しく話をしているような人には通じるんですが、初めて楽譜を見た人には、たとえば“写真を見て匂いを感じてください”と言われているような感じがあるかもしれませんね。「え、写真は見るものでしょ」というような。そういう、概念が楽譜の上にないものを表現していくというか。
――
作曲者と演奏者が人間的に知り合って、話したり議論したりしていくほど理想的な演奏に近づいていく、ということはありますか?
千春
それはありますね。言葉で「こうしたいんだけど」と説明したら、演奏者のほうの解釈が違ってたとか、そういうことも実際ありましたから。
若林千春 若林かをり
――
かをりさんは、もともと現代曲を演奏されていたのですか?
かをり
いいえ。学生時代は、全然やっていなかったんですよ。(木ノ脇)道元さんや多久(潤一郎)さん(編集部注:東京芸術大学で多久潤一郎さんとは学年が近く、交流があったそうです。当時、現代音楽を勉強したかった多久さんの要望で木ノ脇さんが芸大で教えるようになり……その詳細が143号特集「知ろう、活かそう!現代曲・特殊奏法」に載っています)を見ていて、「なんだか変わったことやってるな〜」と思っていたくらいで(笑)。
千春
それこそ、“別の星の人”くらいの感じで(笑)?
かをり
自分がそういう音楽を演奏できるとは思わなかったんですよね。学生時代は多久さんを見ていても、本当に“特別な部類の音楽をやっている人”という印象でしたね。
――
そういう状態から現代曲を演奏されるようになったのは、やはり千春さんの曲がきっかけだったのですか?
かをり
いちばん最初はそうでした。その後、マリオ・カローリ氏の演奏を聴いたことも大きな転機になりました。

その後師となったマリオ・カローリ氏の演奏を聴き、かをりさんがどんな影響を受けたのか、千春さんの作曲のインスピレーションはどこから?……など、気になるこの続きの話題はTHE FLUTE 146号に掲載しています。ぜひお読みください!


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