フルート記事
「有暮れのアリア〜歴史を受け止め、今奏でる〜」を出版

[Interview]山村有佳里

2020年11月に「有暮れのアリア〜歴史を受け止め、今奏でる〜」を出版した山村有佳里さん。ヨーロッパの様々な国に留学し、そこで体験した出来事を、人とのつながりを中心に書かれた本です。その山村有佳里さんに、留学したから気づいたこと、これからの日本の音楽界について話を訊きました。

○山村有佳里(YUKARI YAMAMURA)
 

モンス王立音楽院、ゲント王立音楽院、アムステルダム音楽院を経てプラハ芸術アカデミー、マーストリヒト音楽大学(オランダ)大学院をフルートで修了。国家演奏家資格取得。英国ウェールズ王立音楽大学より奨学金を得て同大学大学院ピッコロ科にて学ぶ。スウェーデン・マルメ音楽大学音楽療法コース修了。第21回東京芸術協会演奏家オーディションにて審査員賞受賞。第12回バコリ国際音楽コンクール、第一位受賞。第10回“エウテルぺ”国際音楽コンクール(共にイタリア)でフルート、ピッコロにて第一位、併せてジャーナリスト賞受賞。サー・ジェームス・ゴールウェイの招待により、スイス・のコースでフィレンツエ国立歌劇場首席ピッコロ奏者・ニコラ・マザンティに師事。T.L.クリスチャンセン、R.ピヴォダ、M.グローウェルズ、P.ブノワなどにフルートを、P.ライクス、P.ヴェルホイエン、N.ダウトンなどにピッコロを師事。12年のヨーロッパ生活を経て2009年帰国。ベルギーの古楽楽団ラ・プティット・バンドのS.クイケン氏のTVインタビューの通訳、世界的フルート奏者、サー・ジェームス・ゴールウェイ氏のプログラムノ―トなども手掛ける。雑誌への寄稿、ラジオ・テレビ出演、講演など国内外問わず演奏活動、後進の指導を行っている。フランダース音楽祭、Coup Maastricht、大文字国際音楽祭、また、ミュージカル「アマデウス」のオーケストラとして参加。」(ベルギー)などに出演。2012年、京都コンサートホールにてモーツアルト フルートとハープのための協奏曲を演奏。(指揮・M.ゴト―二)、「一万人の第九オーケストラ」(指揮・佐渡裕)にピッコリストとして参加。2019年11月山村有佳里 帰国10周年リサイタル~東欧の風~開催。2013年山村有佳里X大田智美CD「Vieiile Chanson」発売。関西現代音楽交流会会員。MUSICA GRAZIA講師。
令和元年度長岡京市文化功労賞受賞。

「有暮れのアリア〜歴史を受け止め、今奏でる〜」
[著者]山村有佳里
[出版]たる出版
[ISBNコード]9784905277316
[価格]¥1,650(税込)

さりげなく伝えること

「有暮れのアリア〜歴史を受け止め、今奏でる〜」はどんなきっかけで書かれたのですか?
山村
ヨーロッパに留学しているときから、マガジンハウスさんの雑誌に海外レポートを書かせていただいていました。文章を書くのは昔から好きだったので、帰国してからも書きたいなと思っていたんです。帰国後のコンサートである方が今回本を出版した「たる出版」の担当者を紹介してくださって、それ以降、スケジュールが合えば足繁くコンサートに来てくださるようになりました。そんなご縁があってこの本のベースを書き始めました。ただそれは10年ほど前からの話で、それから企画が二転三転して、ようやく出版に至りました。
長い期間をかけて温められていたのですね。
山村
はい。文章を仕上げたのは2020年に入ってからですね。たる出版はお酒の雑誌を刊行している会社で、たまたま私が留学したのがビールの有名な国が多かったということもあり、コラムにお酒の小話も書かせていただきました。日本では女性がお酒を飲むというと、「強そう」「呑兵衛だ」と思われがちなのですが、ヨーロッパでカフェなどでお茶をいただくようなのと同じで自然なことです。それがこの本で少しでも伝わればいいなと思っています。
とはいってもお酒の話はうんちくではなく、私が体験し思い出とセットになっている内容です。父親が留学先に来てくれて一緒に飲んだビールの味や仲間たちと飲みながら見た景色だとか。
ビールのお話は微笑ましく読ませていただきました。この本の軸は当然音楽ですが、文章のテンポ感がとても良くて読みやすい本ですね。
山村
テンポ感はすごく大事にしました。かなりページ数の多い本ですが、読み始めるとさらっと読んでもらえることを目指しました。音楽と一緒ですね。リズム感、テンポ感が崩れたものは野暮ったい文章になります。音楽も作曲家や演奏家がどう伝えるのか、音符と音符の間を感じてもらうもの。だから説明しすぎるとくどい演奏になってしまいます。
文章も行間を読むというか、背景など推論しながら読んでいくものです。だからさりげなく、というのが大事です。これが一番難しいのですけど。
本を読むと、山村さんを中心に人のつながりがずっと続いているという印象を受けました。留学記というよりは旅の紀行文のイメージです。
山村
そうなんです。帯文を書いていただいた夢枕獏先生も「旅の報告書」と称してくださっていて、イギリスではラトビア人に出会って、そしてデンマークに行った時にまたラトビア人と出会って、チェコに行くとユダヤ人が多く、次のベルギーも先生がユダヤ人でヨーロッパ最大のユダヤ人街がある……とずっとつながっています。物語的に読んでいただけると思います。
私はピアニストのC.ベンソン氏や、フルーティストのM.グローウェルズ氏など、個性的で素晴らしい先生に出会えたことが幸運だったと思います。ちなみにマルクは洗足学園音楽大学の客員教授に任命されたようです。
12年という歳月を過ごせば、日本にいても起きたことだと思いますが、海外に住んでいれば困難もありますし、頑張らないといけないときもあれば、病気にもなることがあります。そこで経験したことを書かせていただきました。

コンサートに来てくれた夢枕獏先生と
びっくりしたのが手術をベルギーでされたことです。帰国は考えなかったのですか?
山村
生活の流れを止めたくなかったというのが理由です。病気だからと、日本に帰って時間が取られることを避けたかった。当時はベルギーに住んでいたから、ベルギーで手術することは私の中では自然のことだったと思います。
子宮筋腫の手術のくだりは、若い女性に我慢をしないでほしいという気持ちがあって書きました。今は違いますが、昔は38℃の熱があっても休めないという時代。ましてや偏頭痛や生理痛は病気と思ってもらえない。でも本当に辛い人もいるわけで、その後それが重大な病気になることもあるんです。私が我慢してきたこともあって、そこは無理することはでないと、誰かが言ってあげなければ、という思いがありました。
もちろん、昔からある、プロ意識を育てるような厳しさはとても大事なことだと思います。今の先生の多くは生徒に寄ってしまう人が多いようにも思います。優しくて何でも生徒の条件をのんでくれる先生がいい先生とは限りません。
音楽大学もコンクールもホームページを見ると、受験しやすい文言が増えて身近になりました。でも本当は「受けてみようかな」という軽い気持ちで音大は受けるものではないんですよね。
 
 
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