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【第5回】新国産フルート物語 〜4代にわたって受け継がれる歴史 ームラマツフルート

THE FLUTE vol.170

本誌THE FLUTE vol.166より新たに連載がはじまりました「新国産フルート物語」。THE FLUTE Club会員限定でオンラインでもご紹介します。


書籍「国産フルート物語」
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊

前回は、ムラマツフルート(村松フルート製作所)から独立した人々のエピソードを紹介した。今回は、村松フルート製作所社長・村松明夫氏と、同相談役・曽根勝氏にインタビュー。日本のフルートメーカーの中では最も歴史が古く、100周年を目前に控える同社。“世界のムラマツ”となるまでの歴史を振り返りながら、現在のムラマツフルートがたどってきた道のり、そしてこれからについても聞いた。
(取材協力:村松フルート製作所)

 

第5回:4代にわたって受け継がれる歴史
─ムラマツフルート
 

村松フルート製作所社長・村松明夫氏(右)と、同相談役・曽根勝氏(左)

 

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村松フルート製作所は、1923年に初代の村松孝一さんがフルート製作を始めたところから始まり、現在の明夫社長は孝一さんの孫にあたる3代目ですね。
村松
私は正確に言うと、4代目なんです。初代の村松孝一が亡くなってから、その後20年くらいは孝一の妻で私の祖母のはなが社長でしたから。2代目と言われている村松治=私の父は、実際には3代目なんですね。祖父が60代で亡くなったとき、父はまだ18でした。
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はなさんが20年も社長をされていたのですね。亡くなる前に編集部でも貴重なインタビューをさせていただきましたが、はなさんという人は、とても懐の深い方で、業界の中でも有名でしたよね。
村松
そうですね。いわゆる“肝っ玉母さん”ですね。
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明夫社長は、たとえば幼少の頃からフルートに親しんでいたとか、工場で遊んで育ったとか……そういう環境的なことは?
村松
いや、そういうことは全然ないんです。そもそも、後を継ぐ気はまったくなかったんですよ。普通に大学に行って、縁もゆかりもない一般企業に就職して。父がどう思っていたのか今となってはわかりませんが、継いでくれと言われたこともありませんでした。
曽根
私からすると、「よく帰って来てくれた!」という感じです(笑)。これでムラマツはしばらく大丈夫だと。
村松
この業界では変わりダネかもしれません。楽器と関係のない仕事を9年間やってきて、名前が「村松」だったのでたまたま社長になった─というくらい、自分がこうなるとは思ってもみませんでしたね。もし父が健在だったら、間違いなく私はここにはいなかったでしょう(笑)。

村松明夫氏
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では、最初は右も左もわからないという感じだったのですか?
村松
そうですね。でも、そういう立場だったので、わからないことをわからないと言いやすかったですし、私にとってはむしろやりやすかったのかもしれません。もしこれで、隣に父親がいてダメ出しをされたりだとか(笑)、そんな環境だったらとても続けられそうにないですから。
ありがたいことにもうすぐムラマツフルート100周年になりますが、これまでの社歴上、いつも順調に引き継ぎができずにきたわけですよね。初代の孝一は急に亡くなって、私の父もそこまで急ではないにしろだいぶ早逝しましたし。曽根さんもそうだったと思いますが、師匠がいなくなって、残された人たちが工夫しながらやってきたから頑張れた、ということを繰り返してきた会社なんです。

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CONTENTS
・情熱が品質向上をもたらした
・一間半の間口から膨大なラインナップへ
・ゴールドフルート世界への出発点

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