THE FLUTE vol.171

【第6回】新・国産フルート物語 50年の縁と出会い、演奏する楽しみ─三響フルート

本誌THE FLUTE vol.166より連載がはじまった「新・国産フルート物語」。THE FLUTE CLUB会員限定でオンラインでもご紹介します。

書籍「国産フルート物語」
アルソ出版社内にたった1冊だけ残る、貴重な1冊

1998年に刊行された書籍『国産フルート物語』。日本のフルートメーカーを丹念に取材し、トップメーカーから個人経営の工房まで、その黎明期から現代に至るまでの歴史と道のりをつぶさに書き連ねた貴重な記録だ。しかし現在はすでに絶版となっており、社内にある在庫もたった1冊のみ。20年の時を経ているだけに、このままでは風化し埋もれた存在になってしまうという危機感もある。世界中にその品質が認められるようになった現在の日本産フルート─ここまでそれらを先導してきた技術者たちと、メーカーや工房のあけぼのを知る人々も高齢化し、またすでに亡くなった人もいる。
そんな今、あらためて日本のフルートとそれを創り支えてきた人々の足跡を記すべく、「新・国産フルート物語」としてあらためて記録を残しておきたい。さまざまな国内メーカーが創業50年の節目を迎えるこの時期に、“日本で唯一のフルート専門誌”であるTHE FLUTEの使命の一つと考え、新たなフルート物語を紡いでいく。

今回は、三響フルート製作所社長・久蔵豊氏と、同会長・武井秀雄氏へのインタビューをお送りする。ムラマツフルートから独立した創業メンバーが立ち上げた会社が、世界に認められる一大ブランドを築くまで─その歩みは、平坦ではなかった。創立50周年を迎えた現在までの道のりと、同社が目指す今後の姿について聞いた。
取材協力:三響フルート製作所

第6回:50年の縁と出会い、演奏する楽しみ —三響フルート

三響フルート製作所会長・武井秀雄氏(左)と、現社長・久蔵豊氏
 
武井さんと久蔵さん(先代社長)、それから大木さんという3人の創業メンバーで、三響フルート製作所がスタートしたのですね。昭和43年でしたか。
武井
そうですね。当時、私も久蔵もムラマツフルートで一緒に働いていましたが、ある時彼に「やめようと思う」という話をしたんですよ。そうしたら、自分もやめようと思っていると。それなら、一緒に独立しようか、ということになりました。でもなにしろお金がなくて、大変でしたね……。
当時の苦労話は、「国産フルート物語」のときにいろいろと伺いました。
武井
今の社屋が建っている土地が1区画100万円で売りに出ていて、月2万円という月賦でそれを買ったところからすべてが始まりました。3人の退職金を持ち寄って……そのあたりのエピソードも、「国産フルート物語」のときにお話ししましたね。
独立後の足がかりとなったのは?
武井
当初からプリマ楽器に代理店になってもらい、その関係も現在まで続いています。プリマ楽器現会長の大橋幸雄氏は自身もフルートを勉強されていて、当時、川崎優先生に師事していました。そんなこともあり、フルートの先生方ともご縁ができました。そこで、私たちが独立してから作った楽器を、吉田雅夫先生や林リリ子先生に見ていただけることになったんです。
久蔵はムラマツにいた頃から器用で細工が上手く、腕が良い職人でした。ですから、林先生からはとても信頼されていましたね。作った楽器を当初、林先生に検品していただいたこともありました。
「三響フルート製作所」という社名ですが、これに決まるまで、紆余曲折があったそうですね。
武井
そうそう。最初、「大武蔵(おおむさし)」にしよう、なんていう話が出ましたね。大木、武井、久蔵、それぞれの漢字1文字をとって……。しかしいまひとつしっくり来なくて、最終的には久蔵の案だった「三響フルート」に決まったんです。“三人で響き合う”という意味を込めました。社名のロゴもその時に決まり、現在も使っている三角形のロゴマークですが、私が「響」の文字を三角形にデザインして真ん中にフルートの「F」も入れています。

▶︎次のページへ続く

[CLUB MEMBER ACCESS]

この記事の続きはCLUB会員限定です。
メンバーの方はログインしてください。
有料会員になるとすべてお読みいただけます。

1   |   2   |   3      次へ>      

フルート奏者カバーストーリー


画像