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【第8回】ふたたび、「あふれる光と愛の泉」

【連載】THE FLUTE ONLINE vol.176掲載

ジャン・ピエールとその父ジョゼフ、ランパル親子に学び、オーケストラ奏者を歴任、その後パリ音楽院教授を務め、日本のフルートシーンに大きな影響と変化をもたらしたフルーティスト、アラン・マリオン氏。1998年、59歳で急逝してから20年が経った。当時、氏の来日の度に通訳を務めた齊藤佐智江さんは、氏へのインタビューと思い出を綴った「あふれる光と愛の泉」(アルソ出版刊)を翌1999年に上梓した。パリ留学時代の氏との出会い、マリオン氏の通訳を務めることになったこと、傍らで聞いた氏のユーモア、珠玉の言葉、感動的ともいえるエピソードの数々……。それをいつか本にまとめたいと1998年5月に始めたインタビューは、期せずして、氏がパリ音楽院の教授に指名されたところで終わってしまった。
今ふたたび、「あふれる光と愛の泉」をもとに、マリオン氏と共に音楽を人生を享受した様々な音楽家、そして強い意志を持って音楽家の人生を生き抜いたマリオン氏をここに紹介したい。

 

齊藤佐智江
武蔵野音楽大学卒業後、ベルサイユ音楽院とパリ・エコール・ノルマル音楽院にて室内楽とフルートを学ぶ。マリオン・マスタークラスIN JAPANをきっかけにマスタークラス、インタビューでの通訳、翻訳を始める。「ブーケ・デ・トン」として室内楽の活動を続けている。黒田育子、野口龍、故齋藤賀雄、播博、クリスチャン・ラルデ、ジャック・カスタニエ、イダ・リベラの各氏に師事。現在、東京藝術大学グローバルサポートセンター特任准教授。

~アラン・マリオンをめぐるフレンチフルートの系譜~
フルートの向こうで

マリオンとクリスチャンヌマリオンとクリスチャンヌ

2017年7月18日、フランソワ・ドーダン・クラヴォウは、アラン・マリオンの音楽家としてのキャリアを超えたところから、彼の人間性を浮き彫りにしようと、自宅のあるコリアス(フランス南部の町)に赴き、アランの親友ピエール・ニター、そしてクリスチャンヌ・マリオンから思い出やエピソードを聞いた。

インタビュア:フランソワ・ドーダン・クラヴォウ(フルーティスト、作曲家)

自然やスポーツを愛したアラン

ピエール(以下P)  60年代のはじめ、 従妹のクリスチャンヌにアランを紹介されました。出会った始めのころ覚えているのは、あるコンサートでミッシェル・ポルタル(Cl)、ジャック・シャンボン(Ob)、ジャン・クロード・アンブロシーニ(Pf)と一緒に演奏しているのを見に行ったこと。それからアランはクリスチャンヌと1962年にアヴィニョンに近いバルトゥラスで結婚して家族の一員となりました。
私も仕事を始めたばかりの頃パリにいたので、お互いをよく知るようになりました。週末になると、パリ近郊のアニエールの彼らの家に行き、あの頃、アランと一緒にたくさんの音楽を知ることができたのは本当に幸せでした。
そして彼の音楽仲間にもたくさん会いましたね。ジャン・ピエール・ランパル、ものすごい愉快なオーボエ奏者のピエール・ピエルロ、ホルン吹きのジョルジュ・バルボトウ、彼は、俳優のフランシス・ブランシュによく似ていましたね……。
ある日、シャンゼリゼ劇場でバーンスタイン指揮のパリ管のリハーサルがあるので聴きに来ないかと誘われました。その前の晩、あるパーティでものすごく飲んだので、ホールの真ん中の座席で半分くらい寝てしまいました。でも、バーンスタインがマーラーの3番の緩徐楽章のあるパッセージをオケにもっと明確に、とたびたび要求して演奏させているとき、惹きつけられました。私は音楽のことはよくわかりませんでしたし、聴いていたのはジャズがほとんどでしたが、「完璧」に響いた瞬間を聴き取ることができました。

アランは音楽家としてのキャリアの中でたくさんの有名な音楽家たちと出会っていましたが、2つのエピソードを覚えています。
一つめは、アランをアンサンブル・コンタンポランへ入るよう声をかけたピエール・ブーレーズとのやりとりです。アランはピエール・ブーレーズに自分は何といってもクラシックのフルート奏者だから、と言ったというのです。すると、ブーレーズは自分のオケ(アンサンブル・コンタンポラン)にはまさにそういう人を探していたと答えたのだそうです。
二つめは、彼が指揮者として敬愛してやまないセルジュ・チェリビダッケのもとでオケにいたときのこと。チェリビダッケもアラン同様、スポーツにも情熱を傾けている人でした。ある日、フランス国立管弦楽団のリハーサル中に、ホールの掃除の人が立ち止まってリハを聴いていたというのです。するとチェリビダッケとアランがその人に駆け寄ったのです。二人ともその人が1945年にボクシングのフランスのチャンピオンとなったレイ・ファムションだとわかったからなのですが、彼はその当時、生活のためにそうしたいくつかの仕事をしていたのだそうです。

(次のページへ続く)
・教育者としての素質
・信じられないほどの喜びを

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